住所:静岡県伊豆市修善寺970 電話:0558-72-2007 E-mail:yoyaku@arairyokan.jp

新井旅館の沿革

文化財の歴史と文人墨客達


明治14年建築 青州楼 明治当時の玄関 とっこの湯 明治当時花の棟
吉右衛門と靫彦と三代目 桂川 大正時代 桐の棟 当時受け継ぐ渡り橋


明治5年創業当時の写真

明治5年に「養気館新井」を開業。
「養気館新井」の由来としては、“この湯は人の気を養う為に湧く温泉”ということから「養気館」、また創業者相原平右衛門が、修善寺町本立野の新井という部落で、酒造蔵元新井を営んでいたことから「新井」と、二つの意味が重なって名付けられた。

新井旅館に訪れた多くの文人・墨客達
  
安田靫彦 最も縁の深い画人。新井旅館に残した作品七十余点。天平大浴堂や客室「吉野」「龍田」「山吹」、観音堂は画伯の設計による。明治17年から昭和53年
横山大観 数多く来遊し、達磨山から見た富士山等、作品が残されている。また大観のために建てられた客室「山陽」はアトリエなどに利用されていた。
明治元年から昭和33年
今村紫紅 安田画伯の友人として、度々来館。修善寺での題材はないが作品十余点ある。
明治13年から大正5年
小林古径 独鈷の湯を描いた「いでゆ」等がある。
川端龍子 毎年修善寺に訪れ、後年修善寺に別荘を建て、修禅寺に墓がある。天平大浴堂の「ゆあみ」、当館の池の鯉の「魚紋」、ロビーの扁額「明月荘あらゐ」がある。
明治18年から昭和41年
前田青邨 度々来館し三代目館主との親交を深め、「湯治場」など作品十余点。
明治18年から昭和52年
速水御舟 度々来館し館主との親交は深い。
明治27年から昭和10年
広瀬長江 東京都出身。館主と安田画伯を結んだといわれる。滞在中の作品多数。
明治17年から大正6年
石井柏亭 夫人も絵を描くので二人で来館し、梅林での画行が多かった。
明治15年から昭和33年
石井林響 奥の院の弘法大師」は下画と共にあり、新井旅館での製作は多かった。また結婚の仲人を三代目館主が勤めるなど公私に渡り支援した。
明治17年から昭和5年
川合玉堂 俳人としての交友も深かった。
明治6年から昭和32年
梨園
初代 
中村吉右衛門
三代目中村歌六の長男。芝居を好まず医師や画家を志したが明治30年吉右衛門として初舞台を踏む。団十郎の芸風を継承、時代物役者として古風を伝えた第一人者であった。戦争中、新井旅館に疎開したことは有名。秀山と号して俳句をたしなみ、小唄も楽しむ風流人であった。三代目館主と安田画伯と三人で義兄弟の契りを結ぶ。
二代目
市川左団次
初代左団次の長男。父の芸風を継ぎ線の太い大まかな演技の持ち主で独自の風格を示した。「修禅寺物語」の夜叉王を当たり役とした。憩いを求めてよく新井旅館に来訪した。
文人
岡本綺堂 新井旅館滞在中に取材した「修禅寺物語」を発表、執筆の間も現存している。随筆「春の修善寺」「秋の修善寺」がある。
芥川龍之介 長期滞在し、短編「温泉だより」「新曲修善寺」や新井旅館発信書簡が多数ある。
尾崎紅葉 館主との親交深く梅林内に句碑が残っている。名作「金色夜叉」は当館で執筆された。
泉鏡花 修善寺を題材の作品は多く、「斧琴菊」「奥の院にて」は新井旅館内外をモデルとしている。
幸田露伴 執筆する作品はないが、友人としての親交は深かった。
島木健作 作品「赤蛙」の発想の場は後年赤蛙公園として造園された。
島崎藤村 天城越えの基地として修善寺を訪れ「伊豆の旅」を発表。
田山花袋 天城越えの基地として修善寺を訪れ「北伊豆」「南伊豆」を発表。
川端康成 伊豆温泉記」に菖蒲の湯(現在の天平大浴堂)が描かれている。
井伏鱒二 釣りを好み近隣の川でしばしば釣行をしている。作品「修善寺の桂川」他。
川口松太郎 風流深川唄」の別れの場で新井旅館が描かれている。
船橋聖一 新井旅館内外をモデルとした「花実の絵」の他、「狩野川台風を見舞う夏子」等。執筆の間は現存している。
俳人 歌人
正岡子規 特に修善寺での吟行は少ないが、修善寺を愛した後の俳人への影響は大きかった。   
高濱虚子 館主との交友深く昭和28年に大広間にて伊豆の大句会を開いた。「修善寺日記」「修善寺短信」「修善寺紀行」がある。
渡辺水巴 虚子に師事し俳誌「曲水」を創刊する。桂子夫人も俳人。昭和5年に新婚旅行で宿泊している。
伊藤左千夫 修善寺行より」の中に菖蒲の湯での詠と湯の紹介がある。
岡本かの子 わが最終歌集」の中に初秋旅行として修善寺を歌う。
吉井 勇 修善寺遊草」に菖蒲の湯、独鈷の湯を歌う。

文化財の棟の紹介
文化財登録番号 名称 建築年数 建築概要(建築面積)とエピソード
第22-0016号 青州楼 明治14年 木造3階建、瓦葺(276u):塔屋付、東の棟共
島崎藤村(作家)、田山花袋(作家)らが明治42年に宿泊。
第22-0017号 雪の棟 明治32年 木造2階建、瓦葺(258u):数寄屋造、客室棟・湯殿
高浜虚子(俳人)が滞在し、句や随筆を残している。
第22-0018号 渡りの橋 明治32年 木造平屋建、瓦葺(64u):屋根付渡り廊下、縁廊下共
川口松太郎(作家)が小説に登場させている
第22-0019号 霞の棟 明治41年 木造3階建、瓦葺(170u):書院数寄屋造、客室棟
横山大観(日本画家)が度々宿泊を希望した部屋がある。
第22-0020号 桐の棟 大正5年 木造2階建、瓦葺(178u):数寄屋造、客室棟
泉鏡花(作家)が小説の中に登場させた部屋がある。
第22-0021号 月の棟 大正8年 木造一部鉄筋コンクリート造地上3階地下1階建、瓦葺(599u):玄関棟、客室棟
芥川龍之介(作家)が一ヶ月滞在していた部屋がある。
第22-0022号 甘泉楼 大正13年 木造2階建、銅板葺、(411u):大広間、温泉プール
横山大観の渡欧壮行会や高浜虚子の伊豆大句会を開催している。
第22-0023号 紅葉 昭和2年 木造平屋建、瓦葺(82u):離れ、客室棟
泉鏡花夫妻がお気に入りだった離れの客室
第22-0024号 山陽荘 昭和3年 木造2階建、瓦葺(118u):離れ
横山大観専用の居室兼アトリエ
第22-0025号 天平風呂 昭和9年 木造平屋建、瓦葺(113u):大浴場、天平様式
安田靫彦(日本画家)が設計指導した総檜風呂。
第22-0026号 あやめの棟 昭和7年 木造一部鉄筋コンクリート造地上2階地下1階建
瓦葺(111u):客室棟
初代中村吉右衛門(歌舞伎役者)が句を詠んでいる。
第22-0027号 花の棟 昭和9年 木造2階建、瓦葺(248u):数寄屋造、客室棟
再建前の建物では岡本綺堂(作家)が滞在し、名作「修禅寺物語」を執筆。
第22-0028号 吉野の棟 昭和10年 木造2階建、瓦葺(231u):書院数寄屋造、客室棟
川口松太郎、舟橋聖一(作家)が滞在し、執筆活動をした。
第22-0029号 観音堂 昭和11年 鉄筋コンクリート造平屋建、瓦葺(17u):持仏堂
安田靫彦監修の持仏堂。藤原時代の聖観音像が安置されている。
第22-0030号 水蔵 昭和18年 鉄筋コンクリート造平屋建、瓦葺(20u):火災防護用水蔵
太平洋戦争の戦火から、数々の芸術作品を守るため建てた蔵。